アイルランドの孤島、スケリグ・マイケル
スターウォーズのロケ地にもなった、アイルランドの孤島
『スケリグ・マイケル』
ユネスコ世界遺産(1966年登録)
【始まり】
ミカエル、ミッシェル、マイケルと名がついた聖地が世界各地にあります。
いずれも大天使ミカエルのことで、一番有名なのは、
おそらくフランスのモン・サン・ミシェルでしょう。
さすが世界遺産だけあって、写真を見ても威容が伝わって来ますし、
実際に行ってみても、やはり感動を与えてくれる場所です。
他にもイギリスのセント・マイケルズ・マウント、
アイルランドのスケリグ・マイケルなどがあります。
この三カ所を地図で見ると一直線上に並んでいるのがわかります。
時にこの線はレイ・ラインと呼ばれ、エネルギーの道だとされています。
アイルランドのスケリグ・マイケルは「スターウォーズ」のロケ地となったことで、
ちょっと話題になりました。
映画では「エピソード7:フォースの覚醒」、「エピソード8:最後のジェダイ」で、
ルーク・スカイウォーカーが隠棲する島として登場します。
映画を見た人の中には、「あれは何だろう?こんな場所は実際にあるんだろうか?」
と思った人も多かったとか。
アイルランドでは、スターウォーズのロケが行われたことは、
数年前から結構話題になっていました。
ただ、スケリグ・マイケル自体は元々有名な場所で
「アイルランドで、最も聖なる場所」と言っていいかも知れません。
スケリグ・マイケルはアイルランド語(ゲール語)で書くと
Sceilig Mhichíl 。シュケリグ・ヴィヒールという発音になます。
Sceiligは「岩」の意、
Mhichíl は大天使ミカエルです。
Mhichíl (ヴィヒール)
*ゲール語の mh は「ウ」あるいは「ヴ」と発音されて、
ここでは「ヴ」となります。
ch が「ヒ」の音です。
この島にはかつて初期キリスト教の僧院があって、修行僧たちが暮らしていました。
おそらく6世紀頃から始まり、12世紀頃まで続いたと言われます。
ただ、スケリグの名が初めて現われるのは、伝説の中だそうです。
神話と伝承の国、アイルランドらしい話だと思いました。
僧院の石組みの住居が、昔のままに残っています。
世界遺産に登録されたのは保存状態の良さも考慮されているからでしょう。
僧院は海面から180mほどの高さに建てられていて、
そこまで、およそ600段の石段が続きます。
この石段も、作られた当時のままで残っており、
古(いにしえ)の人々が、自然石を切り出して積み上げたものです。
使っていたのは、どんな道具だったのでしょう。機械などない時代です。
人の手で作られた「階段」は不思議な美しさを持っています。
現代に生きる私たちですが、その石を一段一段、踏みしめて昇って行くと、
ちょっとタイムスリップしたような感覚になりました。
周りの厳しい自然は、当時と同じ姿をとどめています。
12世紀頃まで僧院として使われたそうですが、その後全く人は住まなくなりました。
現在は完全な無人島です。
島が見捨てられた理由の一つが気候変動だとされているのですが、
どんなに気候が穏やかでも、人が住んでいたとは信じられない環境です。
アイルランド本島から荒海を隔てた、まさに「孤島」です。
私がこの島に行ったのは2016年の夏でした。
数年前までは、名前も知らなかったその場所に、
不思議な縁で惹きつけられて行きました。
聖地に導かれる時には、よくあることですが、たとえ「行きたい」と思っても、
すぐにはそれが実現しないことが多いものです。
私にとってのスケリグへの旅は、まさにそんな感じでした。
そんな場所があると知ってから、行きたいと思うまでの時間さえ、
考えて見ると結構長かった気がします。
話は、この時からさかのぼって2年前、2014年のことです。
アイルランドに滞在中、ケリー州の友人を訪ねた時、
たまたまスケリグ・エクスペリエンスというビジターセンターに行きました。
ここではスケリグ・マイケルに関しての資料の展示や、情報を提供しています。
スケリグのことなど何も知らなかった私でした。
ビジターセンターのカフェでお茶を飲みながら、
「島への船が出ているのだけれど、行く?」と言われた時、「別にいい」って、
ほとんど嫌がっているとしか聞こえないような返事をした記憶があります。
詳しく聞くと、スケリグ周辺をまわるツアーで、2時間もかかるらしく、
そんなに長い時間、船に揺られたりするのはなんとも気が進まなかったのです。
どんよりと曇った天気で、海に出る気になるような日ではありませんでした。
スケリグが何なのか、そこに何があるのか、その時の私は何も知りませんでした。
行きたいと思わなかったのは、当然だといえば当然です。
もし、知っていたらちょっと気持ちは違ったかもしれないなとは思うものの、
あの時に行かなかったのは正解だったでしょう。
あんな天気では、ほとんど景色も見えないだろうし、
揺れるボートにずっと乗っていて船酔いになったりしたら、
もう二度と行こうとは思わなかったでしょうから。
それからしばらくしてスケリグでスターウォーズのロケが行われたことを
聞いたのですが、その時も軽く「ふーん」って感じで、
だからと言って行きたいと思うことはなかったのです。
そのまま、スケリグのことはほとんど忘れていました。
そして、2016年の夏、再びアイルランドを訪れ、
知人のアイルランド人夫妻の家に招かれた時のことです。
彼らがスケリグに行く計画を立てていると話してくれました。
「興味があったら一緒に行く?」と聞かれて、
「せっかくだし、悪い話じゃないな」と思ったので、行きたいと答えました。
それからスケリグのことを色々聞くと、
「なんだかすごい所らしい」のがわかって来ました。
計画が具体的になった頃、友人が「アイルランドでも一番の聖なる場所に行くんだよ。」と言ったのを思い出します。日が近づくに連れ、気持ちが高まって来ます。
でも、ちょっと不安だったのは、船に乗らなければいけないこと。
それも、かなり小さいボートらしいので、船酔いとかしたら、嫌だなあ、と。
ボートの大きさの話はこんな形で知らされました。
7月半ばにケープクリア島に行くことになり、フェリーに乗る機会がありました。
その船の上で、友人に「スケリグに行く船、小さいって言ってたけど、
これくらいなの?」と聞くと、「とんでもない」みたいな返事。
その船だって、まあ、40人ぐらいは乗ってたと思うけど、
私にすれば十分小さい船だと思ったから聞いたのです。
そこでわかったのはスケリグへの船は、
どうも私が想像した「小ささ」では済まないらしいと言うことでした。
実際に乗ってわかったことですが、ほんとに小舟なのです。
乗客の定員が12人までと聞くと、大きさはなんとなく想像できるでしょうか。
スケリグは小さな島で、周りの海も波が高いから、小さな船しかつけられません。
入江もないし、大きな船を着けられる桟橋もありません。
島に船を係留する場所もなく、乗客を降ろした後、
船は島の周りに散らばって帰りまでの3時間ほど待機することになります。
船にはトイレもないのが普通で、客室などなく、屋根さえもないのがほとんど。
それはつまり「吹きっさらし」。
実際に行った友人が話してくれたのは、聞くとかなり怖気付くような話でした。
雨と風の中、激しく揺れるボートのへりにしがみ付いて、
波しぶきまでかぶるという最悪の条件。
行きと帰りを合わせた、船上での2時間、生きた心地はしなかったと話してくれました。
その話を聞いたのは、実は私たちがスケリグから帰った後のことで、
船に乗る前に聞かなくてほんとによかったと思いました。
話を戻しましょう。
私たちがその年、スケリグに行けたのは、幸運そのものだったと思います。
度重なる偶然から実現しました。
Serendipity (セレンディピティ)という言葉があり、
アイルランドのことを語る際に使われたりします。
まさにその言葉通り、色々な幸運に導かれた旅でした。
その夏に行けたこと自体が、ミラクルな感じがします。
まず、聞いていたのは、ボートの予約は決して取れないだろうと言うことでした。
島に行く許可を持っているのは十数隻の船だけです。
スターウォーズのロケ地となった影響で、ツアーの希望者が殺到。
その夏の予約は完全に埋まっているらしいのです。
そんな状況だったのですが、友達が問い合わせをしてくれた時、
認可を出す船を追加するという情報が入りました。
6月のことでした。
そして、その友達は船のオーナーに直接電話をして予約を入れてくれたのでした。
「最高の船だから」というオーナーからの言葉もありました。
これが本当だというのは後でわかりました。
いよいよ、ツアーの日が近づいてきて、「さあ、行くぞ」ってモードに入ってきました。
気分が盛り上がっているところに、出発の2日前、
悪天候でボートがキャンセルになったと連絡が入りました。
天候が不安定な土地なのは分かっていたので、想定内ではあったのですが、
気持ちにスイッチが入ってたので、かなりがっかり。
ただ、二週間後に予約の振替ができたらしく、
それを聞いてちょっと気を取り直しました。
振替が出来たのも幸運だったと言えます。
アイルランドは、北大西洋からの風が、遮られるものなく、まともに吹き付けます。
天気が不安定なのは、その影響を受けるからです。
その風の凄さを感じたのが、まさに、最初ツアーに行く予定だった日でした。
時間が空いてしまったその日、なんとなく、近くの海岸へドライブに出かけました。
そして、びっくり。
海は大荒れだったのです。
普段なら、泳ぐこともできる(ただし、水はすごく冷たいけど)
美しく広い砂浜があります。
そに、高い波が次から次へと絶え間無く押し寄せているのです。
私が居たのはスケリグからは直線距離で100キロほど離れた町ですが、
大西洋の端のアイルランド、うねる波は圧巻でした。
痛いくらいに頬を打つ風の中に立って、寄せる波を魅せられた様に見つめていました。
風と波の力を感じて、おもいっきり声を上げて叫びたい様な気持ち。
全身に風を受けて、波に向かって叫んだ記憶があります。
その声も、風の音に消されて行きます。
そして、海に向かって立ち尽くしながら、
スケリグ・ツアーの船が出ないのを納得するしかありませんでした。
これは別の日に撮った写真ですが、荒れた海はこんな感じです。
崖の高さは20メートルくらいでしょうか。
それから待つこと二週間、今度は天気も大丈夫そうでした。
ツアーボートのオーナーに確認も取れて、7月22日、金曜日の朝、
ケリー州に向かいました。
船が出るヴァレンシア島まで行って、その辺りで一泊し、
次の日にボートに乗る計画にしました。
私が滞在していたのはWest Cork、コーク州の西側の地域です。
大半が平ったい地形のアイルランドですが、
コーク州は、高いくはないにしても、山や谷の多い地域です。
起伏に富んだ緑の丘陵に、牧草地が広がります。
車で田舎道を走ると、その美しさは時にため息が出るほど。
アイルランドを Emerald Isle (エメラルドの島)
とはよく言ったものだと感心せずにはいられません。
その日の天気は上々。
澄んだ青い空と緑の中を抜けて、
さらに風光明媚なことで知られるRing of Kerry (ケリー周遊路)へと車を進めます。
アイルランドで一番人気のドライブコースです。
森や牧草地が作る、緑のグラデーションは、なんとも見事で、
今までこんなに沢山の緑って見たことがあるだとうかと感慨にふけることもしばしば。
小高い山々が続き、その稜線が海に迫ってきます。
大地の緑と、海の青の出会いが、この国独特の美しさを見せてくれます。
アイルランドに居て、一番ご機嫌なのは、こんなドライブの時です。
そして、車の運転が出来ない私は、心置きなく、心ゆくまで風景を満喫するのでした。
自分の眼に映るこの景色を映像にして、誰かに見せることができたら、
どんなに素晴らしいだろう。
車に乗っていて、何度もそう思いました。
目指すヴァレンシア島まであと少しになった頃、「スケリグが見えるよ。」
と言われて、車の左手を見ると、神秘的な光景が広がっていました。
緑の丘が海岸線へ下って岬になり、小さな入江をいくつか作っていました。
さっきまで晴れていた空には灰色の雲が低く垂れ込めています。
その色も少し青みがかった感じのグレーで、現実の風景かと疑いたくなる様な雰囲気。
空はほとんど雲に覆われていて、太陽は見えないけれど、
海には日の光が射していて、海面は銀の白に輝いています。
その海の上にスケリグ・マイケルの二つの島がシルエットでくっきり浮かんでいました。
光の魔法が作り出したような、神秘の光景。
次の日に訪れるスケリグ・マイケルがこんな風に姿を見せてくれたのは、感動的でした。
これもアイルランドからの贈り物。
まさにセレンディピティと言っていいでしょう。
そして、最初スケリグのことを知ってから、
すんなりとは、ここにたどり着かなかった事にも、意味があるのだと思いました。
自然の流れの中で、自分に必要な時間が与えられていたということでしょう。
その時間があって、どこか成長した自分だからこそ味わうことができた、
旅の醍醐味だったかも知れません。
【道のり】
金曜日の夕方、スケリグへの船が出る
バレンシア島でB&Bを探しました。
空いている部屋があれば、
Vacancyの看板が出ているのですが、
シーズン中なので、ほとんど満室です。
色々回ってみると、幸い、少し外れたところに、
快適な宿が見つかりました。
建物の外観が普通だったので
期待はしなかったのすが、
案内された部屋はとても素敵でした。
海に面した窓があって、
向こうには灯台が見えました。
その日は島の観光スポットを散策することに。
可愛い港があります。
ワゴン車で売りに来ている
バーガーとチップスを買って、
近くのベンチで海を見ながらの夕食。
そのへんのレストランやパブで食べるより、
ずっといい感じ。
アイルランドは夏と言っても、
かなり寒いと感じる日も多いのですが、
この日、夕方の浜辺は爽やかで、
風が気持ちよく思えるくらいの快適さでした。
B&Bに戻ると、窓から灯台と、
その向こうに沈む夕日が見えました。
この時期の日没が午後九時半頃です。
普段なら、もう少し暗くなるまで
起きてるのだけど、
この日は早めに寝ることに。
明日に備えてゆっくり休んでおかなくては。
いよいよ船の出る日の朝です。
泊まっていたのはB&B (ベッド&ブレックファースト)ですから、
朝ごはん付きです。
卵とベーコン、ソーセージ、それにトーストとコーヒー/紅茶。
アイルランドなのでアイリッシュ・ブレックファーストです。
そう呼ばれますが、中身はイングリッシュ・ブレックファーストと変わりません。
朝食のために用意された部屋があって、そこからも海が見えました。
でも天気はあいにくの雨。どんよりした空が、少し不安。
少しして、ちょっと明るくなった気がしたけど、
部屋に戻って窓から頭を出すと、顔に雨が当たります。
でも、海は穏やかに見えたので、気を取り直して出かける準備をしました。
天気がいいのに越したことはないのですが、
この前ボートがキャンセルになったことを考えれば、行けるだけで幸せです。
ボートが出るのがビジターセンターだったので、そちらへ向かいます。
車で15分ほどだったでしょうか。
途中、とてもアイルランドらしい光景に出会いました。
「乳牛が通ります」みたいな看板がおいてあって、牛が前の道路を横切って行きます。
その間、車は当然ながら気長に待つのですが、のどかな感じで心が和みます。
いよいよボートに乗り込み、出発。なんだかドキドキ。
ボートが出るのは、海が穏やかな場所なのですが、その時点から、船は結構揺れました。なにせ小さな船です。その頃には雨も上がっていましたが、
小さいながらも船室がある船だったので、中に入ることにしました。
内装は個人所有のレジャーボートみたいな感じで、快適そう。
っと思ったのですが、船が出てすぐ、結構揺れるので、一瞬で酔いそうになりました。
窓の外の景色が上下に揺れるのが、なんとも気持ちが悪いのです。
座っているのも、つらい感じがして
「今、船が出たばかりなのに、これからどうなるんだろう。」
と思って立ち上がりました。
その不安そうな私を察したのか、オーナーが船室から出た方がいいと言ってくれました。船の後方、屋根はないのですが、狭いけど、4人ほどは座れるスペースがありました。
「ここに居るのが一番船酔いしにくいんだよ」とのこと。
半信半疑でしたが、実際に座ってみると、その通り。
船の揺れが小さくなる訳ではないのですが、船室の中よりはずっと楽なのです。
窓枠を通して外の景色を見ていると、
目の前にある画面を揺すられるような感じがしました。
その視覚的な影響で、船に酔いそうになったのだとわかりました。
外に出てからは、船の揺れも、怖いと思うことがなくなって、
「ちょっとスリルがある乗り物」みたいな感じになりました。
ボートの後ろには大きな波しぶきが立っています。
それもなんだか、楽しめるくらいになりました
船に揺られて、波を見つめながら、
かつてこの海を渡った修道士たちのことを想いました。
エンジンのついた船で1時間ほどかかるのです。
手漕ぎの舟でどれだけ時間がかかったのか。
潮の流れを味方につけても、並大抵ではないはず。
昔の人は一体どうやってこの荒れる海を渡ったのでしょうか。
そして、一度行ったら、いつ戻るのかもわからない、
あるいは、戻らないことを前提に行ったのかも知れません。
そもそも、ここに住むことを決めたのは、どんな心情だったのか。
目の前に広がる深い海の青が、私の意識までも、別の世界に引き込むようでした。