【上陸】

船に揺られること1時間ほど。スモール・スケリグが見えてきます。
その小さな島はヨーロッパで二番目に多い「カツオドリ」の群生地らしく、
島全体を鳥が覆っている感じでした。

すぐにスケリグ本島の上陸地点が近づいて、切り立った斜面が目の前に迫ります。

ボートが着く前に、お手洗いを済ませます。
実はこの船にはトイレが備えてありました。
これはかなりラッキーなのだと聞かされます。
こんな話、わざわざ書くほどのことかなあ、思えるかもしれないのですが、
行った人間にとっては、かなり重要なポイントなのです。

周りを見る限り、トイレのある感じの船はありませんでした。
行ってから帰るまでの5、6時間、お手洗いには行けないのだと聞かされていて、
不安でしたから、これはありがたい状況なのです。かなりほっとしました。

いよいよ上陸。ボートからコンクリートの小さな桟橋に移ります。
気をつけるようにと、注意がありました。
ボートは結構揺れていますから、足を踏み外したりしたら大変です。

聞いた話では、これが危険だと判断されるほど、海が荒れていたら、
この時点で上陸不可能、というのも十分ありだとか。
うーん、ここまで来て島に上がれないなんて、つらいなー。

島に上がったら、舗装された歩道を少し歩きます。
しばらくすると、石を積み上げた古そうな石段が見えてきました。ここが登り口です。

この辺りでまず目につくのが「鳥」。Puffinパフィン。
日本語名は「ニシツノメドリ(西角目鳥)」。
イギリスの児童文庫にパフィン・ブックスというのがあって、
名前は聞いたことがあったけど、実際の鳥を見るのは初めてでした。
かなりインパクトの強い外観です。写真を撮らずにいられない感じ。不思議な可愛さ。

後で思ったことですが、この辺りで時間を取ると、
後の修道院遺跡での時間が少なくなってしまうのです。
でも、写真を撮らずにはいられない感じはご覧いただくとわかるかも知れません。

石段を上がる前に現地ガイドの説明があります。
これは環境保護と安全のため。転落事故も起こっているそうですから。

一通り案内を聞くと、いよいよ石段を上がって行きます。
これはちょっと感動的な瞬間でした。
何世紀も前に生きていた人々が、石を切り出し一段一段積み上げた物です。
その不規則な並び方と同時にその整合性が不思議な感じを出しています。

中腹まで行くと、少し開けた場所があり、そこで休憩を取りました。

ここからまた石段を上がると、修道院の遺跡にたどり着きます。
石を積み上げた壁があり、その入り口を抜けると、ドーム型の建物が見えてきます。

説明するよりいくつか写真を見て頂いた方がいいでしょう。

ドームは住居として使われていたもので、少し大きめのものは礼拝堂だそうです。
この写真の奥の方のドームです。屋根に十字架が見えます。
ドームは中にも入ることが出来ます。
入り口は大体、人が少し屈めば入れるくらいの大きさ。

特に私が惹きつけられたのは、古い十字架がいくつか立った墓地です。
狭い空間に年月を感じさせる十字架がいくつか並んでいました。
人を埋葬できるような空間には見えません。
年月を経て磨り減り、原型を留めないくらいの十字架がいくつか並んでいました。

その墓地の狭さが、どこか胸を打ちました。

あたりを少し歩き、ドームにも入ってみました。
中は、ちょっと時間が止まったような感覚があります。
月並みですが、タイムスリップしたような。

名残惜しいのですが、船の時間があるので、僧院跡を離れなければいけません。
石段を降りはじめました。これが結構、体に応えます。
実を言うと、私はこの1週間前に転んで、足の付け根を痛めてしまったのです。
なので、降りるのがなかなか辛くて、先に降りてくれる友人の肩を支えにして、
なんとか下までたどり着きました。

体が大丈夫だったとしても、登るのよりも、降りる方が危険でしょう。
石段はまっすぐ下に続いている訳ではないので、気をつけていないと、
踏み外してしまいそうです。
一歩間違うと崖から転落してしまいます。
死亡事故も何件か起きているというのも不思議はないと思いました。

船に戻ってから出発すると、島の周りを一周してもらえました。
古い時代に使われていた船から上がるための石段などが見えました。
この石段、気をつけて見ないとわかりにくいのですが、岩を削って段を作ってあります。ここに船を付けるのを想像すると、なんだか、すごい感じがしました。
波で壊れたという古い灯台も見えました。
この灯台は海面からかなりの高さにありました。
海面からはなんとなく5、6階建のビルくらいでしょうか。
こんなところまで建物が壊れるほどの強い波が来たというのは、驚きでした。
別の所に新しい灯台が作られていました。

少し離れると、島の全景が目に入って来ました。
切り立った岩肌を見て、あらためて、すごいところだなあ、と感じます。

 

船はスモール・スケリグを一周回って行きます。
これで、帰りの航路に入るのかと思っていると、船が止まりました。
どうしたのかと思っていると、近くの船にトラブルがあったようです。
私たちの乗っていた船の問題ではなくて、よかったのですが、
エンジントラブルで動かなくなった船があったのです。

レスキューボートが来るまでには、相当な時間がかかるので、
その船に乗っていた人を、私たちの船で港まで連れて行くという話でした。
船だけは後でレスキューボートで牽引して、運ぶのだそうです。
揺れる船から船へ、私たちの方へ10人ほどの人が乗り移って来ました。
定員の2倍が乗っているわけですが、まあ、人が増えても狭い感じはありませんでした。

そんなこんなで、帰りの時間がかなり伸びてしましました。
船の揺れは相変わらずです。
後ろからたくさん人が乗ってきた時、もともと私が座っていた席を
譲ることになってしまったので、船室に入ることにしました。
前方正面の席が空いているのを見つけました。
ちょっと操縦席に座った感じ。
船が進む方向をまっすぐ見てないと、きっとひどい船酔いになると思ったのです。
それでも気分は悪くなりかけました。
長い時間、船に揺られることになったので、ちょっときつかったです。
時間がもう少し伸びていたら、きっとすごく気分が悪くなっていたはず。
それでも無事、港に着いて、その日の冒険は終わりました。
ビジターセンターで軽い食事をしました。

 

温かいお茶を飲んでくつろぎなから、島に居た修道士たちのことを考えました。
帰りの船で、私は、ちょっと船酔いしそうになりながら、
早く着いて欲しいと思いました。
でも、それは私には帰り着く場所があるということでもあります。
島に行った彼らには「帰る」という選択はおそらくなかったでしょう。

 

この島に住むことを許されたのは修道士の中でも、
超エリートだったという説明を聞きました。
口頭試問のようなものがあって、それで認められた者しか、
島に住むことが出来なかったとか。
過酷な環境の中での生活が待っている訳だから、
よほど強靭な精神の持ち主でなければ、気が狂ってしまうでしょう。
信仰心だけではなく、精神的な強さを確かめるための面接であったのかも知れません。

 

アイルランドの夏は、私にとっては寒いと思う日もかなり多いです。
まして、冬は、気温としてはそれほど低くないとは言え、湿度が高いので、
寒さが身体の芯に染み透るような感じがします。
それがこの小さな島には、石の住居以外に身を隠す場所はありません。
外へ出れば、強風が吹きすさぶ日がほとんどだったはずです。

北大西洋に浮かぶ小島に、遮られることなく海から吹く風の強さは
尋常でなかったはずです。
晴れる日も少なくて、冬の日は短く、長い夜が続きます。

外の環境がそうですから、内面の意識も、
深く闇に降りていくようなものではないかと思えました。

 

日本にも禅の修行とか、修験道とか、過酷な環境に身を置いて、
道を極めるというのがあるけれど、それと同じ様に、
彼らは通常の人間の意識と肉体を超越することを目指したのでしょうか。
人が生きて居られるギリギリの環境のその島で、
たいした道具もなしに、石を切り出し、階段を作り、石の住居を作る。
小さな畑で植物を育て、
祈りを捧げる1日。

私にとって想像を超える、非現実の世界です。

彼らは文字通り、石をも穿(うが)つ信念を秘めていたのでしょうか。
あるいは、現代人から見れば過酷そのものに思えても、彼らにとってそれは、
ごく日常のことで、当たりまえの決まりごとだったのかも知れません。

「聖なるもの」とは究極の闇も飲み込んでいるような気がします。

私たちは「聖地」と聞くと「光」に満ちた場所だと
思い込んでいるかもしれません。

私が目にしたのは、その様な「光」の世界ではありませんでした。

闇の底にたどり着いた者だけが、見出す
「神聖」な領域があることを
スケリグが教えてくれた気がしました。